病院に到着した時には、精神科の待合室は混みあっていた。横並びにずらっと椅子が並び、色素が薄くなったような人間で敷き詰められる姿は、たとえば外科や内科のそれとは一線を画すだろう。精神科は、古い建物の一角にある。隅に追いやられている邪魔者、というわけではないが、しかしそのスペースだけ、空気が沈殿しているような感覚があり、たしかに中心部には設置する気は起きにくい。

 診察待ちには、数十分単位を消費するだけでは足りない。1時間をひとつの単位として、だいたい2つ、多くて4つ使わなければならない。あまりにも長い。あまりにも長いため、時間と考えると、2時間、4時間の待機はとてもじゃないが、耐えられない。そこで、角砂糖の1個、2個のような軽く浮いたイメージにしてみると、それほど疲弊しなくていいのだ。しかしやはりあまりの長丁場にしびれを切らしたときは、近くの公園に行くか、飲食店に逃げる。それでも時間を1つ消費できればいいほうだ。残りの1つ、2つ、もしや3つ……どのようになくしていこう、と考えただけでぐったりしてしまう。

今日は、4つ。とくに行きたい場所も思い浮かばず、待合室から離れずにいたおかげで、番号が呼ばれて立ち上がると、全身がぴきぴきと大きく鳴った。

 診察では、これからの私のことについて話していく。ざっくりではあるが、核心をつくような話。しかし、口から出る言葉に重量がみられない。まるで、「近所の○○さんが~」と前置きしているような軽い口ぶり。単語ひとつひとつの重たい意味を知りながら、それを口に出していても、言葉にした感触がない。なぜだろう、今後の生き方を話しているのに、自分自身のこととは思えない。

4つ消費して、真っ先に、強く思い知ったことは、私の軽さだった。身体の重さを差し引いた心の重たさが、軽い。しかし、そんなことは、とっくに知っていた。嫌気だって差している。これ、身体を鳴らしてまで知るべきことだったのか。角砂糖のイメージが、一気に崩れる。4つが4時間、4時間が240分、240分が……と、いよいよ心に迫る単位に変わっていく。戻っていく。