5月も半ばに入った。天候が揺れに揺れる。暑さに適応する準備をはじめた途端、肌を逆なでするような寒い日々が訪れる。中間がない。ちょうどいい日がない。おかげで、のどの奥に若干の違和感がある。頭もくらっと揺れる。風邪の手前も手前の体調だ。若干怯えながら、対処療法的に明治R1を飲んでみると、健康体にリセットされた気になる。病は気から。気さえ整えればどうにかなる。その気が整う兆しが見えないから、こうやって話していても説得力がまるでない。ああ、気を整えよう、最善を尽くそう……。


話は代わる。私には、聴くと様々な思いに駆られる1曲がある。くるりの『東京』だ。ふと聴いたラジオで、くるりの『東京』が流れた。あの曲が好きだ。とくに琴線に触れるのは、抒情的な歌詞と、それに絡みつくような粗いサウンドだ。ひたすら感傷的にさせるとともに、「ひとり」を肌で感じさせる、少しだけ怖い曲。そんな強い印象がある。


しかし、私はきっと、『東京』の大部分を思い知ることはできないだろう、と感じている。この曲の出だしの歌詞から、そう察するしかなくなる。私はこの曲とは遠いところにあるのだ。上記の印象を超える共感はできない。東京に生まれ育った者には、『東京』の内部に誘われないし、立ち入れない。「東京の街に出て来ました」。このフレーズは、不必要な嘘をつくことを除けば、口にすることがないのだ。


東京に上京してきた人々のことがわからない。どういう思いで東京にやってきたのか、また故郷から出てきたのか、故郷にはなにを残してきたのか、またなにを繋いでいるのか。東京出身の私が考えても及ばないことは、挙げたらきりがないだろう。また、「東京に上京してきた者」「東京出身者」と、ひとりひとりの人生をひとくくりにすることも、暴力的であることも感じている。ただ、それでも、わかり得ない一線が、かれらとの間で引かれている感覚が、痛覚に似たものとしてあるのだ。


大学時代に、ひとり暮らしをしている学生がいた。かれらの大半は、関東地方から北部にある地域の人で、新潟や東北の各所から、埼玉の地までやってきた。ひとりで衣食住の生活をしながら、そのうえ、大学での生活を営んでいた。私は、ひとり暮らしの経験がなく、また、その生活と併せている背景、「故郷とは異なる地で生きていく」こともなかった。想像するにも想像を絶する刺激が、かれらに注がれている。それ以上に考えることができなかった。ゆえに、ひたすらに強い人間だと思った。かれらを、逞しく、強靭で、またしなやかに生きている人間に見えた。同時に、私が知ることのない経験を、かれらはしているのだ、と思った。上記の、故郷から出て行くこと、知らない土地で生きていくことだ。そこには、どういった意味をもつのだろうか、と考えた。


しかし、当然ながら、わからない。当たり前だ。そもそも、他者をわかるかもしれない、他者がわからないことは痛覚だ、という考えは傲慢だった。人は皆他人であること、相手のことの少しも私はわからないこと、自分のことの少しも相手はわからないことを前提として、交流や関係が進んでいく。


それは、当然のことなのだ。私が風邪を引きかけるころに、かれらは風邪を引いていること、はたまたピンピンと暮らしていることも、私とは異なる風の吹く土地に育ち、この街で強く生きる人々がいることも。


話が広がってしまった。

 とある日、コーヒーを淹れた。コーヒーを淹れてみた、という言い方が正しいかもしれない。

日も暮れかけたころのこと。夜が片足を突っ込むころ。ふと、「コーヒーを淹れよかな」と思い立った。しかし、カフェインに弱い私が、そんな時間にコーヒーを飲んでしまったら、夜になっても眠くならないことはわかっていた。頭のなかで、「やめとけ、眠れたほうがいいぞ」と、私の内の誰かが、宥めるように告げている。私は、頭のなかで反応した。うん、わかるよ、わかる。コーヒーを飲まないほうが、今後のことを考えると、よっぽどいい。でも……。


 以降、時間を忘れて、私の内にいる者とのやり取りが続いた。こうすればいい、こうすべきだ、そうだけど、わかってはいるけど、ならすればいいだろう、なぜしない。議題がぐるぐると代わるものの、繰り広げているやり取りは代わり映えしない。ああ、だめだ。目の前の相手と会話をするように、何者かとやり取りをしているけれど、その何者かとの会話でさえも、上手くいかない。ぎこちない。会話はキャッチボールだといわれるが、その日の私は、豪速球を暴投しまくるピッチャーのようなものだ。ピッチャーで例えるならば、相手はボールをまるく投げ返すキャッチャーになるだろうが、そのような序列が出来上がっていた。なんだよ、しゃらくさいな。自分の心の中と相手しているのに、こんな気持ちになるなんて。


 心の内では、荒っぽい展開が繰り広げられていた。しかし、外部から定点カメラで覗くように、私の動きを振り返ってみれば、ただひとりの男が、リビングの椅子にしんと座り、テーブルの木目をじっと見つめながら、微動だにせず時間を流しているだけで、仰天するほどになにも起こってはいないのだ。また、頭で考えるだけで疲れ切っている……。勝手に悩み、勝手に疲れ、また勝手にしょげているのだが、それで動かなかったら、さらに悲惨になることはわかっている。ならば、もう、最初に思い立った「コーヒーを淹れる」を実行すればいいじゃないか、と言い聞かせ、台所に向かった。


 コーヒー豆の量を、少しだけ多めにしてみた。若干濃い味にしてみよう。湯を沸かす。そのうちの少しばかりをサーバーに入れて温め、残りを沸騰させていく。その時間が意外に長い。コーヒー豆の匂いが、台所の隅々まで薄く行き渡っていく。遠くにカラスの鳴く声が。静かだ。ラジオや音楽でもつければいいのだが、そのときは気が向かず、私もただ静かに湯が沸く瞬間を待っていた。

 
 ようやく、白い湯気が立ってきた。すぐにコンロの火を消し、少しだけ冷ましてから淹れていく。静かっていやだな。静かって毒だな。と心の中でぶつくさ毒づきながらも、熱湯で蒸らし、コーヒーの香りが濃く漂ってくるにつれ、心の張りが緩んでいった。ゆっくりゆっくり、時間をかけて淹れていく。中心部に小さな「の」を描くようにしていくと、薄茶色の泡がよく出て、おいしい味わいになる。と、どこかで書かれていたので、とりあえず遵守している。これまではうまくいっていたのだが、しかし、手元にあるコーヒー豆は、少し淹れ方が難しい。少しでもペース早めに水やりをしてしまうと、泡になるどころか、水たまりができてしまう。そして、これまで泡になったためしがない。地味に悔しい。地味な分野の悔しさだが、とても悔しい。だって、このあと飲む人は私だけだもの。美味しくないかもしれないものを処理するのは私だけだもの。「うわあ」と嘆きながらコーヒーを淹れるのは、わりかし哀しい作業に思える。

 
 今回は、というと、淹れているあいだは少しだけ手ごたえがあった。「これ、いけんじゃね?」とやや浮足立った。しかし、淹れ終わった瞬間に泡が急ぐように消えていくのを見て、それほどでもなかったんだな、としょげた。

 
 ひどいことをたくさん書いてしまったが、それでも、出来上がったコーヒーは愛着がある。私が淹れたのだわ、私の淹れたコーヒーなのだわ、とちょっとだけ高揚する。小さいカップに半分程度のコーヒーを入れて、ひとくち飲む。苦っ!思ったより苦い。濃いけどそれ以上に苦い苦い。すぐに牛乳で薄めた。牛乳の濃厚さは、それ単体で飲むとまったくわからない。コーヒーと和えたときに実力が見える。とっても甘く、ちょうどいい苦さになった。ああ、よかった。よかったよかった。気分も少し上向いた。

 
 当然、その日の夜はギンギンに眠れなかった。

という、ある日の話。

これが私の選択なのだ、と、私を信じてあげたい。私の選んだ道を、私が進むことを、肯定して守ってあげたい。前進するための準備を、私は今まさにしているのだ、と、抱き締めて、前へ促してあげたい。
私を愛しいものとして抱き締める。たとえ形から入るとしても、心が伴っていないとしても、私のことを抱き締めてあげること。決して忘れず、毎日を生きる。船橋の生活。明日で1週間。

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