過去の記憶を遡ろうとすると、必ず一旦停止する場所がある。止まらずにはいられないのか、無意識に止まるのか。従順に停止したその場所には、人の死がある。身近な人の死の匂いが漂っている。しかし、必ずしもそれが悲しい記憶というわけではない。その記憶は、穏やかで、陽だまりのような笑顔に満ちたものだった。ぽわんとした笑みが浮かぶ。

 死。私の中にのんびりと佇む、ひとつの記憶が残っている限り、私にとっての死は、必ずしも悲劇的なものではなく、丁寧な握手や抱擁そのものに思えるだろう。死を喜ばしく。

 病院に到着した時には、精神科の待合室は混みあっていた。横並びにずらっと椅子が並び、色素が薄くなったような人間で敷き詰められる姿は、たとえば外科や内科のそれとは一線を画すだろう。精神科は、古い建物の一角にある。隅に追いやられている邪魔者、というわけではないが、しかしそのスペースだけ、空気が沈殿しているような感覚があり、たしかに中心部には設置する気は起きにくい。

 診察待ちには、数十分単位を消費するだけでは足りない。1時間をひとつの単位として、だいたい2つ、多くて4つ使わなければならない。あまりにも長い。あまりにも長いため、時間と考えると、2時間、4時間の待機はとてもじゃないが、耐えられない。そこで、角砂糖の1個、2個のような軽く浮いたイメージにしてみると、それほど疲弊しなくていいのだ。しかしやはりあまりの長丁場にしびれを切らしたときは、近くの公園に行くか、飲食店に逃げる。それでも時間を1つ消費できればいいほうだ。残りの1つ、2つ、もしや3つ……どのようになくしていこう、と考えただけでぐったりしてしまう。

今日は、4つ。とくに行きたい場所も思い浮かばず、待合室から離れずにいたおかげで、番号が呼ばれて立ち上がると、全身がぴきぴきと大きく鳴った。

 診察では、これからの私のことについて話していく。ざっくりではあるが、核心をつくような話。しかし、口から出る言葉に重量がみられない。まるで、「近所の○○さんが~」と前置きしているような軽い口ぶり。単語ひとつひとつの重たい意味を知りながら、それを口に出していても、言葉にした感触がない。なぜだろう、今後の生き方を話しているのに、自分自身のこととは思えない。

4つ消費して、真っ先に、強く思い知ったことは、私の軽さだった。身体の重さを差し引いた心の重たさが、軽い。しかし、そんなことは、とっくに知っていた。嫌気だって差している。これ、身体を鳴らしてまで知るべきことだったのか。角砂糖のイメージが、一気に崩れる。4つが4時間、4時間が240分、240分が……と、いよいよ心に迫る単位に変わっていく。戻っていく。

 大学へ向かう。家と大学を往復するたびに、財布が薄くなる。今日は、やはり寒かった。声を出すことにもためらう、萎むような気温。それでも、日差しは春のもので、車窓から見える風景は、暖かくやわらかなものだった。そういえば、いつから日差しが春のようだと気付いたのだろう。12月と3月、その日差しはなにが違うのだろうか。感覚的なものだとしても、そこに気まぐれさが見え隠れしてしまう。もしや違いなどないのでは、とも思える。ああ、たとえそうだとしても、今が春の日差しならそれでいい。細かいことは考えなくていいのだ。

 武蔵野の森は静かだった。大学の敷地内には、凛と佇む森がある。武蔵野をイメージしたこぢんまりとした森。私はこの森が好きだった。4年間もの大学生活には、よいこともあれば下を向くほかないときもあった。おそらく、あらゆる試練(といってしまうと大げさになるのだが)に耐えながら過ごした時間が、4年間の大半だったのではないだろうか。私の大学生活は、必ずしも楽しさ一色ではなかったように思う。

下を向くしかない、下のほか向ける場所がないときには、教室に向かう道を遠回りしてでも、武蔵野の森を通って行った。葉のさざめきだけがザアザアと鳴っている。そのほかの、大学の敷地にある生活音が遠ざかる。緑に包まれていながら、白黒のイメージが広がっていく。それだけで、どこか落ち着くことができた。しかし、こうして書いていくうちに、やはり、私は静かな人なのだと改めて思う。

 もう、頻繁に武蔵野の森に行くこともない。しきりに立ち入るようではいけない。まさか、私が卒業できるとは。安堵や感慨に浸るよりも先に、驚きがあった。留年するかもしれない、と、諦めかけていたからだ。友達との別れ、お世話になった方との別れのしんとした気持ちも大きい。ただ、「喪失」と、敢えて大きな言葉を付けてもよい別れは、あの森の、心地よく気楽でいられた空間との別れだ。

あの、ひっそりと安堵できるような場所が、新しく作れるだろうか。不安だ。もし、そのような場所を見つけたとしたら、あの森のことが記憶から薄れてしまうのだろうか。忘れてしまうのだろうか。それが健全であることは、単語として頭には入っている。ただ、もう、それでいいと言い切ることができないし、それがまたもどかしく、切ない。

 これから、あの森を避けたくなる。定期券も切れて、ますます遠ざかる感覚が迫る。何も書けないような気分になってしまう。

↑このページのトップヘ